西暦644年1月1日、飛鳥寺では、蹴毬の会が催されていました。
当時の毬は鹿皮で作られていて、貴族達の遊戯となっていました。
一人が毬を蹴った時、一緒に履いていた靴が脱げて飛んでしまいます。
この時、飛んだ靴を拾ってくれた人がいました。
中臣鎌足です。
靴の主は、中大兄皇子。
この二人の出会いによって、後に蘇我入鹿の命が奪われることとなるのです。
私が小学生の頃、この出来事は『大化の改新』であると習ったのですが、現在は『乙巳の変』と言うのだそうです。
そして、それ以降の政治的な改革の部分を『大化の改新』と言うのだそうです。
今まで、蘇我入鹿は、日本書紀の記述等から悪人であると伝えられてきたんですね。
それが故に『乙巳の変』が起きたと。。。
実際私も【悪いむしご(645)ろし大化の改新】と覚えて今まできました。
でも最近、そのことに異を唱える人がたくさん出てきているようです。
と言うのも、『蘇我氏=悪人』説を唱えている日本書紀が、乙巳の変に関わった中臣鎌足(のちの藤原鎌足)の息子、藤原不比等の命によって編纂されたものだったからなんですね。
『歴史は勝者によって書かれる』
と言われますが、この『日本書紀』の史実は、本当に真実を語っているのでしょうか。。。