ビックリするようなトンデモな秘密☆

風邪でダウンしてました〜っっっ☆


39度の高熱で車に乗ることを禁じられ、当然のことながら会社も休んでお家でじっとしてました(;_;)幸いなことに病院の薬がすぐに効いて熱は下がったものの今度は声が一滴も出なくなって仕事にならず(;_;)1週間周りの方にご迷惑をおかけしました。と、そうこうしてるうちに夫に風邪がうつって夫が高熱でダウン(^_^;)こちらも病院の薬がすぐに効いて事なきをえました。


良かったことは、この風邪がインフルエンザじゃなかったことですね。おかげで早く職場に戻ることができました♪助けて下さった方達に心から感謝(^人^)です。皆さんも風邪には十分お気をつけ下さいませね☆


と言うわけで、すっかり延び延びの(^_^;)秘密の話をお伝えしますね!!



よく通る道路沿いで見つけた『大山住神社』。


調べてみたら御神体である山が立ち入り禁止になっていて?!☆の続きのお話。。。。


そもそも、この山には斉明天皇の御陵であったとの言い伝えがあるのだそうです。元々、第35代皇極天皇だった斉明天皇ですが、当時は蘇我蝦夷と入鹿親子らに実権を握られていました。ところが大化の改新蘇我氏斉明天皇の息子である中大兄皇子に討たれてしまいます。そのため、天皇の座を孝徳天皇に譲位するのですが孝徳天皇が若くして崩御したため10年後に斉明天皇として再び即位します。


またまた『大化の改心』の頃のお話です☆


日本書紀によると、斉明天皇は女性でありながら朝鮮半島百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされた際に自らも軍を率いて難波を出航、伊予の道後を経て「朝倉橘広庭宮」に潜幸し戦いに備えたとあります。いわゆる白村江(はくすきのえ)の戦いです。その後、この朝倉宮にて斉明天皇崩御されるのですが、朝倉宮が福岡の朝倉市にあったとされる通説とは別に、高知の朝倉神社のことではないかという説があるらしいのです☆そしてその亡骸を神社南方の鵜来巣山に埋葬し陵墓を設けたという説から以来立ち入り禁止の山になっているようなのです。


と言っても、全くの非公式なトンデモ説なので、私もつい先日まで知らなかったんですけどね(^_^;)ただ、昔から真実は隠されていることが多いのでもしかしたらもしかするのかも?!ですね(^^)


実はそれ以外にも、この山には「朝日夕日さす椿の下に黄金千両漆七桶」という埋蔵金伝説が残されているのだそうで、これもまたトンデモな話なのですが☆「朝日夕日さす椿の下に」とは埋蔵金の枕詞だそうで、埋められているとされる「黄金千両と漆七桶」は、もしかしたら斉明天皇に関係するものなのか?はたまた鵜来巣城の軍資金?と妄想が膨らむのですが、これらについての記録は一切残されていないのだそうです(^_^;)


でも火のないところに煙はなんとやら☆で、ちょっとロマンのある話だと思いませんか(*^^*)


何はともあれ鵜来巣山は今もなお立ち入り禁止の山として、このトンデモな秘密を守り続けているのです。。。