素敵旅その8〜☆

愛媛素敵旅2日は、列車で今治駅まで移動し、そこからバスで大山祇神社に向かいました🎵


先日のブログでもお伝えしましたが大山祇神社にはアラ(サビ)を取ってくれるナルトがある❗と言うことで行く前からワクワクで(*^^*)


そんななか目についたのが



こちらのポスター☆


『村上海賊』


『海賊』といえば海の荒くれ者、というイメージがありますが、村上海賊が活躍した時代は海の強き者という意味合いで『海賊』と呼ばれていたようです。


実際に、点在する島々の間を縫って船を進めることは、今でも漁師さん達の間で「船に乗るより潮に乗れ」と語り継がれるほど困難を極めることだそうで、こうした海の難所を安全無事にやり過ごせるよう水先案内していたのが村上海賊だったのです。


恥ずかしながら、、、


私は今回、この旅で訪れるまで『村上水軍』と言う呼び名を知っているくらいで詳しいことは何も知りませんでした。なので『村上海賊』=『村上水軍』なんだ!というところからのスタートで(^_^;)でも色々調べてみると、村上海賊が単なる海上戦を得意とした武闘派集団なだけではなくて、香やお茶、連歌なども嗜む、当時の大名顔負けの教養を身につけた集団であったと知りました。


わが恋は 三島の浦のうつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらふ


この歌は村上海賊を率いて戦に勝利した鶴姫の辞世の句です。


鶴姫が最初に戦に勝利したのは弱冠16歳。。。



それから二年、大山祇神社の大宮司、大祝家の娘として生まれ兄亡き後自ら戦の陣頭に立ってきた鶴姫は、右腕として共に戦ってきた恋人の越智安成を戦で亡くしてしまいます。


私の恋は、
まるで三島の浜辺の空貝のよう

すごく虚しくて、
あなたの名前を思い浮かべるだけでとてもつらい


鶴姫が詠んだ句を現代の言葉にしたものです。


鶴姫はこの句を残して海に入り命を絶ちました。


その後、日本各地の海賊達は豊臣秀吉が出した海賊禁止令によって衰退、海の拠点を失うこととなるのです。