『葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 、、、、』
神ながら(随神)とは、神の思し召しのままに、、、と言う意味で
葦原の瑞穂の国は神様のなされるようにしておけばよい国で、人間が神様に色々要求したりする必要はない国である
という歌なのですが、この後、柿本人麻呂は
『それでも私は言挙げする』
と歌を綴っています。
昔々の人々は、自然の中に神を見出し自らの中にある神性を磨いていました。
どんなことが起ころうとも、それは神の思し召し、、、とスッと腑に落として前に進む術を心得ていたのではないでしょうか。
故に、『言挙げせぬ国』と。。。
でも人麻呂は、全てを神に任すのではなくて!!という感じで『それでも私は言挙げする』と続けているんですね。
日本人の、思いを心に留めるという奥ゆかしさと、その反面、言葉に力を見出し、言葉を発していくと言っている人麻呂の強い思いが表れた和歌だと思います。
神ながら
神の思し召すまま
あるがまま
これでよし!!
と思えたら、どんなに楽だろうと思いますよね(^^)
でもそうはいかない。
そう思っているから、自分で何とかしたい、何とか出来るんじゃないかと、あれこれやってしまうんですね(^^;
ふと、
こんな風に人々が考えるようになったのは、自然崇拝から偶像崇拝になってきた背景があるのでは?と浮かびました。
元々日本は、随神(かんながら)の道『神道』を取り入れていました。
そこに、外国から『仏教』が持ち込まれ、神道派と仏教派の間で激しい争いが繰り広げられました。
そして物部氏が敗れ、仏教が広まることとなるのですが、その中心となった場所が『飛鳥』でした。
奈良の旅で、石上神宮をあとにした私と non-non は、この飛鳥の地にも足を延ばしたのでした。。。