崇神天皇と石上神宮

母が、ぎっくり腰の一歩手前の状態になり、昨日は実家でレイキを直にして、夜は遠隔ヒーリングをしてみました。


連絡を取っていないので状態が分かりませんが、今夜も遠隔ヒーリングしてみようと思っています。


こんな時、レイキやってて良かったなぁ〜・・・と思います。


母は、左側が痛いと言っていましたが、私が触ると右側もビリビリしていて、


「右側もビリビリするんだけど?」


と聞くと前日に右側を少し痛めていたとのこと。


きっと、無意識のうちにかばう体制となり左側に無理がいったのでしょうね。


ぎっくり一歩手前の状態で、何とか快復してくれたらいいなぁ〜と思います。。。




さて、



今日もまた、石上神宮の話題です(^^)


先日も、石上神宮は日本最古設立の神社であるとお伝えしましたが、かの日本書記に神宮と記されている神社は、この石上神宮伊勢神宮の二つだけなのだとか。


そしてその二つともが、第10代崇神天皇の時に端を発しているんですね。


両方とも、ニギハヤヒを祀っているんですよ!


興味深いですねぇ〜(^^)


もっとも、伊勢神宮の方は、女神のアマテラスということで、


本物のニギハヤヒが隠されてしまった!!


なんて言われたりしているのですが。。。。


とにかく、崇神天皇の時代に、疫病が多く発生し、その原因が大物主神の祟りだとしてあれやこれやと策が講じられたのです。


大神神社も、崇神天皇の夢に大物主神(=ニギハヤヒ)が現れて『大田田根子に祭祀をさせるように!』とのことで、大田田根子を探し出して祭祀を任せたと言われていますし、伊勢神宮も、疫病が蔓延しているのはアマテラスを宮中で祀ることが災いしているのでは?と考えて、外でお祀りするべく各地を転々とし、最終的に伊勢に辿り着いたと言われています。


石上神宮もまた、宮中でお祀りしていた布都御魂剣を石上神宮のある場所に還しお祀りしたのが始まりとされています。


布都はニギハヤヒの祖父のことですが、一緒に、布都斯(スサノオ)と布留(ニギハヤヒ)もお祀りされているんですね。


こうしてみると、疫病の蔓延を何とかしたいと行動された崇神天皇は、優しい人なのかなぁ〜・・・とも思うのですが、それだけニギハヤヒを恐れるのには、余程のワケがあるのだろうなぁ〜・・・とも思ってしまうのですよねぇ〜(^^;


だって、


一説には、


神武天皇崇神天皇


ではないか?!という話もあるんですよ。


だとしたら、自分がしたことを省みて祟りを恐れてる?とも言えなくもないかな?なんて(^^;;;


あくまでも私の妄想の世界ですが((^^))


いずれにせよ、石上神宮には古くから歴代の天皇が参拝している記録があります。


そして、毎年11月22日に行われる鎮魂祭は、皇居で天皇陛下によって執り行われる『魂振りの儀』と同時に行われる御神事だそうで、同時に行われるのは、ここ石上神宮島根県物部神社だけなのだそうです。


ちなみに、


とっても意外なのですが、伊勢神宮天皇が参拝したのは明治天皇が初めてで、それまでの天皇は誰も参拝したことがなかったとのこと。


色々な理由の説があるようですが、不思議なお話ですよね☆


と、話が逸れましたが(^^ヾ


石上神宮を堪能した私とnon-nonは、次の目的地!!飛鳥を目指しました(*^^*)!